【国境を越えるドライブ旅】中国浙江省からモスクワ 江蘇省部分
ええ...Ethanです。
なんか知らないうちにほかの人がいなくなちゃったなぁ.....
最近就職のためにいろいろ忙しいので更新が遅くなりました。これからも更新が予定通りできない可能性もありますので、一応、この旅の記事は必ず最後まで書きますので、よろしくお願いします。
前回は上海まで書きましたが、そこから江蘇省に入ります。予定通りまず蘇州に到着、その後の予定は無錫市→常州市→南京市→揚州市、揚州出てから直接天津市に向かい、天津で休憩して北京に入り、北京でちょっと遊んだらロシア辺境の満州里市に向かい、そこでロシアに入国、という感じでした。
上海から蘇州は滬寧高速道路→蘇州環状線高速、環太湖大通りのインターチェンジから出で、西山島の友人宅へ
東京からだと、蘇州は空港がなく、一番早い方法は上海虹橋国際空港着の便を選び、虹橋に着いたら高鉄で蘇州駅へ
蘇州は江蘇省東南部に位置する地級市。
古くから長江の南に位置する、江南の主要都市として栄えてきた。春秋時代に呉の都が置かれ、呉文化圏の中心であった。伝説によれば、諸樊がこの地を本拠と定め、諸樊の子孫の闔閭が呉の都として整備したと言われている。臥薪嘗胆、呉越同舟の舞台である。秦以後には会稽郡、後には同郡から分離した呉郡の役所が置かれた(同時に呉県の役所も設置された)。隋代に蘇州の名が始まったが、南朝最後の陳末の民衆反乱(589年)で町が破壊されて郡の役所なども他の町に移されており、本格的な再建は役所を蘇州に戻した唐の太宗時代以後のことになる。五代十国時代には呉越国の都となり、北宋の神宗時代に府(首都に准じる都市)への昇格に伴って平江府、元には平江路と呼ばれるようになった。この間、金の南宋遠征軍が平江府を攻撃して再度町は大規模な打撃を蒙った(1130年)が、南宋政府によって再建されている。元末の張士誠も呉王を称して蘇州に都した。明になると、蘇州府が置かれて以後は現在の蘇州という名称が固定化された。古くから絹織物で発展した国家歴史文化名城であり、上海市に隣接する地の利があり、現在も省の経済的中心である。
中国の車って普通にカーナビないから、自分で買う以外またはスマホで使う以外方法はない。
着いたら友人すでに待っていますし、外食の予約も済んだ。外食のところに言ったら.....なんと........俗以外何も思わないwww
黄色はともかく、赤色は大体共産党時代からいい色になった。昔赤色では邪気を招く色でしたのに....昔のいい色では青色でした。ええもう一つ。大体中国の外食で、個室が用意してます、個室を予約すれば、何人であろうかこんな感じです。
料理はこんな感じでした、↑これは生のえびです....私は一口でも食べなかった。
夜では友人宅で泊まり、田舎だから撮るものあまりなかった。
朝
朝ごはんは蘇州麺でした。日本のラーメンと比べると、Emmmmm.....私はパスタを選ぶwww冗談です、正直で言えば、私自身はラーメン屋あまり行ったことないので、行った数少ないラーメン屋では、量が少ない!!!!あと、個人的には豚骨ラーメン油ぽいので、これと比べると私は蘇州麺がいいと思う。おいしいかどうかの問題じゃなく、量的問題ですwww.前にある大手のマーケティング会社の方と一緒に新潟出張に行ったので、駅で食べた日本そば、特盛りを注文した、確かにすごっくうまかった!!!量も多かったので、満足でしたが....二時間後、マーケティング会社の方が:Ethan、俺腹減ったからちょっとコンビにに行ってくる、何かいるかい?って聞かれた。で結局二人ともまだ弁当食べたwww個人的結論:日本のものうまいけど(生もの以外、個人的には生もの無理)量が少ない。食べたらすぐお腹減る、うまいから食べる、量が少ないからお腹減る、お腹減ったらまた食べる、一日四食五食の経験があった...来日以後日々太ってるので、現在ダイエット中www(韓国人女性の友達:3ヶ月8KG太ったってwww)
まぁこの話題はいいとして、
嘉樹堂です。現地の蘇州式園林です。
ここに飾ってるものほとんどは明、清時代のもの、まぁ、どれだけの価値があるのか私もわからないけど
清の時代のデザインの椅子と机。
廊下はこんな感じ。よく中国宮廷ドラマ見る方はたぶんわかるはず。
外に行ったら、これは村全体です。伝統式の建物ばかり。
太湖
江蘇省南部と浙江省北部の境界にある大きな湖である。その景観の美しさで知られ、中国政府の国家重点風景名勝区に指定されている。
太湖は長江デルタに位置する。大運河ともつながり、多くの中小の河川が流れ込み、またここから蘇州を流れる蘇州河や上海を流れる黄浦江などの河川が発している。これら太湖周辺の水系はすべて最後は長江に流入する。湖周囲の都市は、北岸の無錫、西岸の宜興、東岸の蘇州(いずれも江蘇省)、および南岸の湖州(浙江省)である。
太湖湿地風景エリアに行くのは料金かかります、10元です(約160円)。
正面に船のデザイン建物。
ご飯はこんな感じでした。あまり中華好きじゃないので、その時もあまり食べなかった。
蘇州市内へ。
ホテルから見た外。
地方大都市とは言え、杭州市や上海などと比べられないね。
向こうの建物って、でかいズボンみたい....デザインする人絶対頭おかしい。
ここはお台場海浜公園に似てるね。
蘇州の観光地って基本浙江省に似てますので、違うところはただ方言と食べ物の違いだけなので、特に時間を作っていくつもりはなかったので、次へ出発。
無錫市に着き、ホテルはここ
まずは三国城に行く。テレビドラマ三国志の撮影地です。
赤壁のシーンはここです、ただの模型で撮影した....
実はね、中国国内で三国志なんか読む人ほとんどいない。三国のことを言うと、むしろ日本人の方々が詳しいと思う。中国人では三国関係のもの読むでも、学校の国語授業です、一部文言のやつがある、それを訳すぐらい。または中の権謀闘争、人を弾圧する方法を学ぶために見る。日本みたいにスマホゲームまで三国関係のものは基本ない。私も三国など見たことない、まずは興味ない、つまらない争いだけだっと思う。一応国語授業ではちょっと習ったけど、全部忘れた。唯一覚えているところは、キャラクターの喋り方、本当うっぜ!!!!!!簡単なことを複雑にして言ってる、教科書みたいwww
かに+えび+魚+貝類.....
なんとも言えない......
華西村に行きました、そこにこういう建物がある。これは内部の模型。
中国らしいデザインだなぁ...日本人の方知らないので、ここでは、中国の悪口と繋がってる。↑にボールがあるなら:
顶个球!
顶个球=直訳:ボールを押し上げてる。実意味:何の役にも立たないという意味です。それ以外に、この「球」字(ボールの意味)がこの話にあると、男性下半身のことにも指す....
だからこの建物見て、わあ気持ち悪い!!!!
時間も時間だし、ちょっと寄ったら南京市へ出発した。
南京は江蘇省の省都。古くから長江流域・華南の中心地で、かつては三国・呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(以上の6朝を総称して六朝)、十国の南唐や明といった王朝や南京国民政府の首都であった。中国四大古都の一つ。
南京市
最初に総統府に行きました。
ここで、実は600年以上の歴史がある。清の時代の総督府、康熙帝、乾隆帝の時代でここを官邸として使い、太平天国時代の天王府、孫文が中華民国臨時大統領を就任する時にも、全部ここでした。入るにはチケットが必要です。40元です(約640円)。中に21エリアある、
左から:中華民国政府教育部総部長蔡元培,陸軍総長黄興,大統領孫文,参議院議長林森,総統府秘書長(たぶん日本の官房長官レベル)胡漢民,法制局長宋教仁。
ここは1948年5月20日蒋中正(字:介石)と第一夫人など話しているシーン。
ここは大統領オフィス、簡単だなぁ
行政院です。ここは行政院の内部、昔の姿です。
太平天国時代の皇帝座、もうばかばかしい過ぎてツッコミできない。
清の時代の官僚服。
敬愛となる前大統領の像。今のやつ......
内閣議会
次は中山陵
ステージ数は392、三段、意味は三民主義の民族、民権、民生。
ここ、南北向き中軸線対称で、すべて青色の瓦を使った。青色は空、中華民国国旗の色と同じ、青天白日満地紅。青天白日満地紅旗は青・赤・白の3色で構成されているが、これは孫文の三民主義、民族の独立、民権の伸長、民生の安定に由来しており、青は民権主義と同時に自由を、赤は民族主義と同時に革命に身を捧げた人々の血と友愛を、白は民生主義と同時に平等をそれぞれ象徴している。同時に、青天白日の紋章は、青は空を、12本の光芒からなる白日(白い太陽)は1年の12か月と十二支、十二宮、十二刻を表し、中華民国の絶え間ない進歩を象徴している。
実は中華民国は終わってない、海の向こうの台湾にある。今日は民国108年2月16日です。現中華民国大統領は民主選挙で選ばれた蔡英文、中国と違う。だからもし本物の中国文化などを体験したいなら、台湾に行くほうが良い。
次は美齢宮に行く。
美齢宮は江蘇省南京市玄武区の紫金山の南麓に位置する歴史的建造物。孫文の陵墓である中山陵とユネスコの世界遺産である明孝陵の南隣に位置している。
1931年から1934年にかけて中華民国南京市政府により建設された。設計者は南京市政府工務局局長の趙志游である。正式な名称は国民政府主席官邸であったが、蒋介石と宋美齢が頻繁に宿泊していたことより美齢宮と称されるようになった。現在は資料館として当時の様子を再現しており、入口には宋美齢が使用していた車が展示されている。
チケットは30元(約480円)。
美齢宮は中国唯一の鳳で飾ってる建物、全建物では1000個以上の鳳がデザインされ、瓦の先にある。
ここ、すべてのものが当時のものであり、当時の位置に置かれている。
ここ、前中華民国第一夫人宋美齢の家族のことを写真で語っている。あと宋美齢がアメリカ国会での演説を放送している。
秘書室。
礼拝室。当時第一夫人宋美齢と大統領蒋中正はキリスト教信者ですので、在中華民国アメリカ大使館大使もここで大統領夫婦と一緒に礼拝をした。
ここは南京市の商業施設中心、もし南京に来るならここに行けば、商品が日本より安いよ
東南大学、中国最も優秀な大学と思ってる。前中華民国国立中央大学でした。共産党になってからいくつかの大学に分散して設置したところ、理系は中国最優秀、私の友達もここ出身で、GISRを研究する理系女子、一発で東京大学大学院,慶応大、東京工業大学、南洋理工大学、香港大学など合格でした。まぁ彼女は最後スウェーデン王立理工大学に行きましたけど。彼女の口から東南大学のいいところ聞いたことない、この大学のキャンパスいくつかありますので、彼女のキャンパスは都市部に離れていて、夜に野良猫、虫、蝙蝠などの声が聞こえますので、東南野生動物園って呼んでいるwww
紫峰ビルです
上から見るのはこんな感じ。
ワンタンでした。
以上は南京すべてでした。
次は江蘇省の最後、楊州市です。
ただ楊州市は国際空港があるので、大阪からの直行便もあります。
自分が最初に揚州を知るのが、揚州十日です。1645年の揚州大虐殺。1645年の清ヌルハチ第15子の予親王多鐸(ドド)軍と明の史可法軍と戦いの際に、清軍による大規模の虐殺でした。死者が万人に上った。
まぁこれは別として。
楊州市も友達が住んでいますので、訪ねていたら、まず食べに行こうって言われたwww
こう見ても、実はレストランです。
これ、説明できないけど、麺ではない....あまりお勧めできない。
シュウマイ。実は日本の肉シュウマイなんか....中国ではそんなシュウマイがない....
これは蟹で作った肉まんです。まぁ....興味ある方ぜひ食べに行ってください。汁が多いので、ストローで
瘦西湖です。
別に痩せた西湖じゃなくwwwただこういう名前です。
こいつ....おいしそう!!!!!
ドリアンで作ったお菓子です。日本では3000円以上のもの....興味あるならぜひ
楊州市中心の文昌阁
京杭大運河の揚州部分
鐘書阁
楊州市有名な本屋、
デザインが面白い。
これで楊州市は終わりです。次は直接楊州市から天津へ向かい、ロシア入国記事前の最後の記事です。ではまだ今度。