大学生の旅道中

読み始めたら、旅が始まった

【国境を越えるドライブ旅】中国浙江省からモスクワ  天津、北京 ロシアチタ

Ethanです。就職のために更新が遅くて、非常に申し訳ない。早く内定取りたいなぁ!!

まぁそれは別として、今回の更新は中国部分の最後、次の更新ではもうロシア領です。

天津市(てんしんし)は、中国国家中心都市の一つ。略称は津。

天津は華北平原海河の五大支流の合流する所に位置し、東に渤海を、北に燕山を臨む。市内を流れる海河は天津の母親河とも呼ばれる。

渤海湾地域の経済的中心地であり、中国北方最大の対外開放港である。首都北京市とは高速道路、高速直通列車、京津城際線によって、0.5〜2時間以内で結ばれている。元々は海河の河港であったが、河口の塘沽に大規模な港湾やコンテナターミナル、工業地帯が形成されている。経済成長率の高さはここ数年に渡り、全国トップである。2017年の第13期の全国体育大会の開催が決まっており、夏季ダボスフォーラム常駐開催都市でもある。

天津は隋代に大運河が開通し、南運河と北運河の交差地点の三会海口(現在の金鋼橋三岔河口)がその発祥である。中唐以降は南方からの食糧輸送基地となり、金代には直沽寨、元代には海津鎮が設置され、食糧輸送以外にも軍事拠点としての要衝とされた。

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高速道路天津サービスエリアを通過したらまず朝食買いに行きました。豆花(ドウホワ)と天津煎餅(てんしんせんべい)買いました。そして天津市の中心部、天津駅に行きました。

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駅から見たらこんな感じです。

なんか真ん中の建物が911連続テロ事件のビルに似てるような感じがします。。。。

遊覧船を乗って、天津駅正面の河にあるのが解放橋、1927年建て、天津の象徴でもあり、万国橋とも呼ばれている。この理由は、1902年フランス租界が提案し、清政府(1911年まで)が作ったものです。1923年新しい橋を作ろうとして、正式に廃棄されました。1927年の時天津はフランス、イギリス、ロシア、アメリカ、ドイツ、日本、イタリア、オーストリア、ベルギーなど9カ国の租界があって、この橋がフランス租界の入り口のところにあり、フランス租界工程部が主催して作ったため、フランス橋にも呼んでいる。第二次世界大戦が終わり、国民政府は中正橋として呼び、その後共産党ソ連紅軍の侵攻により、国民政府が台湾に撤退し、天津市陥落。橋も解放橋という名前になりました。

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↑これが中正橋です。隣の鐘は都市彫刻建築物として作り、2001年1月1日0時に新世紀を迎えるために鳴り、その後天津市の象徴になりました。

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このような天気は一年中数少ない天気です。普段の空は灰色です。

この橋は北安橋といい、デザインが東京日本橋になんか似てる感じですね。中国伝統の青龍、白虎、朱雀、玄武を四つの方向に置き、平安の意味を象徴している。

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↑これは上海市蘇州河にある同じようなデザインの橋です。だけどこの二つは全部偽ものです、本物は↓ フランスパリのアレクサンドロス3世橋

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ここが有名のイタリア風情区。天津市河北区にある、四角いエリアで200ほどの欧州建築物が保存している。前身はイタリア租界、イタリアが海外に唯一の租界でした。ここもアジアに唯一イタリアスタイルの建築物がたくさんある場所。

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天津Eyeです。ロンドンのほうが綺麗だけど。

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望海楼教堂
「天津教案」の舞台となったフランス系の教会。第2次アヘン戦争アロー号事件)後、キリスト教の内地布教が認められると、 宣教師と一般民衆との間にはさまざまなトラブルが頻発するようになった。なかでも有名なのが、1870年にこの望海楼教堂で おこった天津教案である。発端となったのは、教会付属の孤児院で幼児が次々と死亡した事件。これに不審を抱いた中国人の間で 「孤児院というのは幼児を殺害して薬を作るところだ」といううわさが広まり、やがて一部が暴徒化、フランス領事をはじめ 教会関係者100人近くが殺害されるという惨事へと発展した。実際嘘であったことが後に発覚。ちなみに現在の建物は、1904年に建て直されたものである。天津駅の西北、 海河にかかる獅子林橋のたもとにある。

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古文化街旅行商業貿易区。実はここは観光客向けなので、食べるために行くのがいいが、それ以外何も買わないほうが良い。中国製の品質みんな知ってる通りです。

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どちらというと、天津市は横浜に似てますね。

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ホルモンです。

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↑これは豆腐とたことえびなどいろんなものが混ざってる。

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鴨肉です。

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↑わからないです!!!すみませんでした!!!とにかく豚肉のいろんな部分の組み合わせ、豚の腎臓、豚の肝臓なども全部混ざってる。日本人の方には向いてないと思う。。。

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天津聖若瑟(ヨセフ)主教座堂は、別名天主教西開総堂、西開教堂、老西開教堂または法国教堂といい、元は天津のフランス租界(現在の中国天津市和平区和平路西寧道11号)に位置する天津市文物保護単位かつ天津歴史風貌建築である。この聖堂は1913年に建てられ、初めは聖味増爵堂といったが、後に聖若瑟堂と改名し、その地が老西開であるので西開教堂とも呼ばれた。この聖堂は天津市で最大のロマネスク様式聖堂であり、カトリック天津教区の司教座聖堂でもある。カトリックです。

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ここは旧アメリカ租界です。

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このかつての栄華を感じさせる洋館は 張作相(1881~1949)の家でした。彼は国民政府国策顧問、東北行営政治委員会委員、東北共産党退治部隊副司令。

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 本物の天津肉まん。

実は普通....

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天津大学

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夜はこんな感じです。

天津市の部分はこんな感じで。特に遊ぶとことや食べなければいけないところがないと思うけど。

 天津は羽田から直行便が運行してます。値段もそんなに高くないし、往復で3万円で取れる。ただ、天津航空という聞いたことのない会社が運行なので、ANAJAL系ではないから、サービスなどはどういう状況か自分もはっきりわからないので。もし心配なら、北京行きのANAJAL系を乗れば、北京から天津まで高速鉄道はただ50分です。

北京に関しては、旅行日記などみんないろいろ書いたので、自分も特にどこにも行かなかったので、ただ食べ物を出すだけで終わりにしたいと思います。

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以上で中国部分全部終了です。

二日間の連続運転で、満州里の辺境で予定した団体と集合する。車も満州里の辺境に駐車して、スポーツカーにします。

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この人数で2時間以上にかかる。

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6時間待って、ロシアに入国しました。

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ソ連時代の車。

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白い車は同行者の車です。

日本車のレクサスです。

隣のはソ連製1966年のUAZ390995(452)型

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夜9時40分(全然夜に見えない)、第一目的地チタ市に到着。

ソ連時代の30年代からソ連解体まで、チタは立ち入り禁止エリアでした。最初ここはデカブリスト(十二月党員)の追放地でした。満州里からチタ市まで途中400KMのシベリア草原地域では、チタより大きい町どこにもない。

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夜のチタ。

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ホテルの朝ごはん。全然うまい!ようやく洋食が出た。

そして、次はウラン・ウデ市へ。

 

就活中なので更新が非常に遅くなりまして申し訳ございません。