【国境を越えるドライブ旅】中国浙江省からモスクワ part2杭州編
Ethanです!今回は横店から離れ、東陽市に一旦戻りして杭州市を向かう!
杭州はどこにあるか
杭州は浙江省の北にある、中国八大古都の一であり、国家歴史文化名城に指定されている。13世紀は世界最大の都市であった。杭州は古代臨安と呼ばれ、唐の時代から江南経済エリアと大運河のために建設された、北宋時代に江南最大都市になり、大詩人、北宋グルメ作家蘇軾が一度杭州知州として赴任した。南宋の時金との戦争の敗北により臨時首都になり、杭州の全盛期になった。
現在では杭州市内の余杭区には、新石器時代末期に栄えた良渚文化(前3300年から前2200年ごろ)の遺跡がある。中国語に「上有天堂,下有苏杭」という話がある、その意味は上に天国があるように、下には蘇州と杭州がある。蘇州と杭州は天国と同じぐらい素晴らしいところだという意味です。西湖十景(富士山のほうではなく、杭州の西湖です)、「白蛇伝」の雷峰塔、断桥など、幼いごろからよく親父につれて遊びに行ったけど、一人で遊びに行くのがまだ初めて。
杭州市に行く前に、まず金華市の近くにある芹川古村と文淵獅城に行きます。
夕日を浴びている東陽市
この緑のマークは高速道路を意味しています。日本は高速道路民営ですが、中国においてはインフラ関係のものすべて国営です。表面上民営に見えても、国有企業がコントロールしております。ETCもこの数年間で普及したばかり、ETC値引き率が3%~5%に過ぎない。車両がETC装置が配備してないのが普通です。最近配備率が上昇しておりますが、ETCを装着すれば料金所で止まる必要なくなるだけです。地方政府があちこち勝手に料金所を設置するため、高速道路の渋滞がよく発生していた、祝日年末の時、60KMほどの渋滞が発生した事件もありました。(笑)
日本と違い、海外では道路の名前がつけられています。中国が中華人民共和国になってから人民路、解放路という名前があちこちにあった。その理由は言わなくてもみんなわかりますよね。まぁ中国なら基本どの市でもこういう名前の道がある。
インターチェンジの近くに入ると渋滞が発生してます。ここで約30分かかってやっと高速道路に入りました。
この高速道路上の写真は設置したドライブレコーダーで撮った動画の画面です。運転中のスマホ操作は非常に危ないにので!絶対やらないでください!
着いたらもう夜、時代感が非常に強くて、地方の古代建築物をホテルにした千岛湖文渊狮城铂瑞酒店Primus Hotel Qiandao Lakeで一晩泊まり、翌日は遊び始める。
文淵獅城
この文淵獅城はダム湖建設により、淳安県と遂安県(現在は淳安県へ合併)の県城が二つとも沈み、その他に8個の鎮と39の郷が水没した。湖底には、古代から続いた淳安(賀城)および遂安(獅城)の2つの町の遺跡があり、「中国のアトランティス」とも呼ばれる。特に獅城は徽商が拠点とした商業都市であり、城壁、城門、牌坊 、城隍庙、民家などといった明から清にかけての古い建築がそのまま水中に保存されている町の複製です。
宋の時代の兵士格好の俳優さん。非常にかっこよく
横店と同じ、ここも撮影地としてよく中国の時代劇で使われてます。
芹川古村
芹川古村は淳安県浪川郷に属し、浙江省千島湖西南大山の奥に位置しています。淳安県の歴史が長くて、安徽省の休寧、歙県と隣接し、秦代の時に歙県(現在は安徽省に属する)に管轄されたので、ここの徽派建築の古民家が今まで残られています。清代康熙5年の「江左郡王氏家係図」の記載によって、芹川村の始祖が王瑛という人で、宋末元初に儒高から月山底へ引越して、その息子万寧公が大人になった後、月山底から芹川村までに引っ越したそうです。万寧公はここの「4山が2水を取り囲み、芹水がひっきりなしに流れている」情況を見てから、村名を「芹川」に命名しました。現在、苗字が王である人が村総人口の98%を占めています。それで芹川は750年以上の歴史のある古村とは言えます。
日本では「中国人って4本足のもの机と椅子以外なんでも食べる、2本足のものは人間以外なんでも食べる」という話があるが、最近中国のネット上のネタでは広東人が福建人を食べるというネタも出でいた。もちろん冗談だけど。まぁそれは別として、確かに自分はこの鴨たちを見た瞬間で、「こいつ、焼いたら絶対うまい」と思っていた(笑) ああちなみに、四本足以上または足がないやつは、食べるか、またはお酒にする(笑)。たとえば、ムカデをお酒に作るか、蛇もお酒に作るなど、画像が若干キモいのでここでは載らないが、興味ある方はGoogle先生に聞いてください。
動物たちも普通に動かないままにいることが多いところです。
昼間から寝るなんで、ここの動物は幸せだなぁ
↑この女性は知らない人です。たまたまいただけです。
ここの建物は基本徽派、白い壁とグレーの瓦、世界的に有名な建築スタイルです。
ここに住んでいる人はゆるくて、都市部みたいな繁忙がなく、静かに暮らせる、そういう生活でも案外いいかもしれない。
ここが江左郡王氏家の祠堂です。
ここまで書いて一つ書き忘れたところがありました、一旦時間を出発前に戻します。
盧宅古建築群
実は故郷の東陽市でもこのような氏族の家があった、数倍大きいところです。盧氏氏族のお宅。名前もそのまま盧宅。
↑この人は友達です、これはデートではありません!今は過去を振り返す時間なので、一人旅ではないことを気にしないでください(笑)
この辺は前殿
↑ これはさすがに日本語で説明できませんので申し訳ございません.....
まぁとにかくこれはロビーのライトです、ギネス世界記録で認定した世界最大のロビーライトですけど。使い道はまったくわからない。年末祝いの時だけ光るので。
ここの模型ですね、全体的にはこれほど大きいです。盧氏は後唐時代朝廷丞相盧文紀の子孫の氏族です。ちなみに前韓国大統領盧武鉉(ノムヒョン)の先祖も同じ人です。盧文紀の子孫は盧姜と盧穂がいて、五代十国後周時代、盧穂が9人の子供と家族をつれ現河北省から新羅(現韓国)に移住、盧姜が西安から浙江東陽に移住した。盧武鉉前大統領の8代先祖から現韓国金海市に定住した。
2003年東陽盧氏代表者、盧宅文物管理委員会と盧武鉉前大統領会見の写真がこの部屋に飾っています。
では時間を戻して、いよいよ杭州市に向かう。
西湖(せいこ)は、中国浙江省杭州市西湖区にある湖。
西湖の自然の島である孤山、西湖を分ける堤の蘇堤・白堤・楊公堤、人工の島である小瀛洲・湖心亭・阮公墩、分けられた湖の外湖・西里湖・北里湖・南湖・岳湖、これらをまとめて形状を「一山、三堤、三島、五湖」と称される。2011年6月の第35回世界遺産委員会で世界遺産(文化遺産)として登録された。白居易の詩「銭塘江春行」で「緑楊陰裏白沙堤」とうたわれた白堤、蘇軾の造営によるという蘇堤など、西湖十景と呼ばれる観光資源が豊富である。中でも有名な伝承は中国四大美人の一人、西施入水にまつわるもので、この故事により西湖の名称が定着したというものである。
しかし、呉越の時代にはまだ西湖は淡水化しておらず、漢代でもなお西湖とは呼ばれていなかったことから、この伝承は後代のものであろう。
南宋末(13世紀)の祝穆『方輿勝覧』巻一に詩画の十題として以下が見える。
断橋残雪、平湖秋月、曲院風荷、蘇堤春暁、三潭印月、花港観魚、南屏晩鐘、雷峰夕照、柳浪聞鶯、双峰挿雲
杭州市に来たら西湖に行かないと!
雷峰塔(らいほうとう)は、杭州市西湖区の西湖南岸にある仏塔である。975年に建てられ、6年をかけて完成した。伝説では、呉越王の銭弘俶により、その寵妃である黄氏が子を得たことを祝うために建てられたとされ、古くは「黄妃塔」(または黄皮塔)とも呼ばれた。「雷峰」の名は、西湖南岸の夕照山の最高峰である雷峰頂に由来する。雷峰塔は1924年に倒壊したが、ちなみに現代のは2002年に再建されたものです。
有名な古代小説白蛇伝では、人類の男性と白蛇の化身である女性との恋愛をテーマにして、白蛇と人間は夫婦になるものの白蛇は法力を持った禅師等に正体を見破られ、西湖畔の雷峰塔に封じ込められ、雷峰塔が倒壊しない限り出られない、禅師でなければ雷峰塔に近づけない人類の男性はその白蛇の化身である女性の近くにいたいために出家し、死去まで毎日雷峰塔を清掃していたという恋愛物語を語った。
杭州市の都市中心部が見える。
ついこの最近は雪を降りましたので、写真を載せます。
こちらは現在の京杭大運河です。
これはまさに本物の断橋残雪。断橋って言いますけど、雪の時反射で見えるように見えない感じがするので、自分の撮影技術ではそれを撮れないので申し訳ございませんが、興味がある方はぜひ雪の時一度訪ねてください。
この西湖の近くにプロポーズする人もいますが、独身の自分がこのシーンを見た時、リア充爆発しろしか言いたくないけど(´;ω;`)ウゥゥ。
グルメ部分
大半の観光客が杭州を訪ねる時グルメに関しては特に河坊街などの観光地で食べるのが多いだが、実際現地人はそんなところ行きません。
例としては西湖醋魚です。西湖でとれた草魚の甘酢あんかけ。西湖の名を冠した杭州随一の名菜。レストラン「楼外楼」の 名物料理でもある。柔らかい白身魚はとろけるような美味しいさで、草を餌とする草魚のしなやかな白身を楽しむ一品。だが実際ウェスト レイク ステイト ゲストハウス(West Lake State Guest House)というホテルとレストラン「楼外楼」以外で作ったものが全部偽物です。
ウェスト レイク ステイト ゲストハウス(West Lake State Guest House)は2016年開催のG20首脳会議の会期中には、中国の国家指導者が会談や各国首脳との晩餐会に利用した公式指定ホテルです。毛沢東が合計27回滞在した、歴史的にも重要な宿泊施設です。
まもなく飛ぶみたいな感じと7切りは基本です。そして淡水魚の臭さがなく、本物の西湖醋魚です。ウェスト レイク ステイト ゲストハウス(West Lake State Guest House)は現在一般公開で、普通に予約して入ったり、宿泊することができます。
↑これは定勝糕、南宋の書籍「夢梁録」(むりょうろく)によると、岳飛を軍隊を率いて毎回出撃する前に、杭州の民衆たちが定勝糕を兵士達に渡し、戦闘の勝って、帰ることを望んでいた。
実際食べると、食感がふわふわで、若干薄いあんの味がします、和菓子とある程度似てます。
http://www.xihusgh.com/Room/Index/1c7cb643-d2f7-4d1c-93bc-79fbff26c051#page1(英語)
↑ウェスト レイク ステイト ゲストハウス(West Lake State Guest House)のホームページです。
江南渔哥
住所: 49 Shiwukui Alley, Shangcheng Qu, Hangzhou Shi, Zhejiang Sheng
Esperluète
住所:凯旋支路18号D街区11号楼
フランスデザートの店、店全体はガラスで完全透明な感じ。行くなら春がおすすめ。
PetitYanRan
住所:艮山西路102号杭州创意设计中心A134
北欧風のデザート店、現地で有名なところです。女性におすすめ。
知味観·味庄(杨公堤店)
住所:中国杭州西湖区杨公堤10-12号
電話:+86 571 8797 0568
本物の東坡肉が味わえます。完全予約制なので、事前に電話しないと食べられません。
こちらは杭州市900年ほどの歴史を持つ特有の朝ごはんとしてのグルメ、葱包烩(Chinese Onion with Youtiao)です。
南宋時代、南宋の宰相秦檜(しん かい)、金との講和を進め和議を結ぶため、その過程において岳飛ら抗金派の政府要人を謀殺・平民へ落とすなどし、その後も自らの権力保持のために敵国の金の圧力を背景に恐怖政治を敷いたので、後世、その名は売国奴の代名詞となり蔑まれたという人がいましたので、岳飛が殺害された後、杭州の民間で揚げパン(youtiao)と小葱をパンの中に入れ、パンを人間の形にして、油で焼いた。それを揚げ檜(中国語:油炸烩儿)といい、秦檜が疑う可能性があるため、檜字を火の烩(現代簡体中国語)にしました。そして現在まで残っていて、普通の朝飯として、市内あちこちで買えます。
ホテルのおすすめはツーチャン シーツー ホテル (浙江西子賓館) (Zhejiang Xizi Hotel)
ここに宿泊すれば、西湖まで歩いてすぐ、雷峰塔までは徒歩で 12 分で行けます。 この 4.5 つ星のホテルは、中国絲綢博物館まで 1.4 km、净慈寺まで 1.6 km の場所にあります。部屋内で直接西湖が見えます。値段もそれほど高くない。料理もG20の時各国首脳に出されたので、普通の中華と一線を画します。
こちらで安く予約できます。↓
日本から杭州への行き方
成田空港から杭州蕭山国際空港まではANA直行便一日一便のみ運行している、値段は相当に高いので、もし東京から杭州へ旅行に行くなら上海着にして、上海から高速鉄道を利用して行くのが安くなるのでおすすめです。
関西国際空港から杭州蕭山国際空港までは直行便一日二便あります、厦門航空とANAが運行、厦門航空のほうが2倍ぐらい安い。厦門航空で直行の航空券 を購入のがおすすめです。
今回はここまでにしますので、次回は杭州の別の観光地に行きます。